内向きWebディレクターの仕事の流儀

ストレスまみれ、長時間労働、つまらない仕事など、ストレスフルな仕事環境から抜け出すための仕事の流儀を解説。

役に立つ情報を発信するのがマーケティング?なんだそれ

役に立つ情報をとにかく無料で発信すればうまくいく


コンテンツマーケティングとかでよく言われますよね。
でもまあ、甘々な考えだなーと思います。
幼稚園のお遊戯みたいな?そんな感じ。

お役立ち情報の記事をたくさん書いていけば、
潜在顧客をたくさん集められて、ビジネスの認知度も上がってとか言うけど、
お役立ちコンテンツなんてただの消費財でしかないからね。

そんなもん、使い捨ての消費コンテンツなのよ。


たとえばだけどさ、最近俺は

「クレジットカード 更新」

っていうキーワードでグーグル検索をしたんだけど。
目的は、「クレジットカードの更新の方法を知りたい」っていう意図で。


で、1位のページを見たんだけど、
すぐ冒頭にこう書いてあって。


「クレジットカードは自動更新が基本なので、自分からは特に手続きは必要ない」


それで、俺の悩みというか疑問は解消したわけ。一瞬でね。
そういう意味では非常に価値のある記事だったと思う。


でも、でもね・・・。


いま、そのサイトの名前、ひとかけらも思い出せないんだよ!!


思い出せないというか、見てすらいなかったと思う。

そう、役に立つノウハウ記事を見つけた。
そしてすぐに自分の疑問が解消した。
んで、そのあとはどうなる??


・商品購入する?
・メルマガ購読する?
・ファンになる?


ぜんぶ、ないんだよ!まじで。

「役に立つ情報さえ提供すれば、ファンになってくれてメルマガも登録してくれて、ゆくゆくは商品も買ってくれて・・・」


そんなわけ、ないの。
ただたんにお役立ち情報を無料で垂れ流してるだけじゃ。
そんなもんビジネスでもマーケティングでもなんでもない。
ただのお遊戯だしボランティア。


普通はね、グーグル検索してお役立ち情報見て自分の疑問が解消したら、
速攻でそのページから離脱しますよ。
そのあとは何も起こらない。

数時間後には、そのサイトの名前すら思い出せない。


これが現実だってこと、いい加減気づいたほうがいいと思う。
コンテンツマーケティングコンテンツマーケティングってばっか言ってる人たちは。
うちの会社もコンテンツSEOやってるから内部の事情とか知ってるんだけど、
いやもう、ひどいもんだよ。。。


SEOでアクセス集めればなんとかなるって思ってるんだもん。
なんとかなるわけねーじゃん。

・・・なんとなく頭きてしまったので書いたけど、
いい加減頭、お花畑の状態から抜け出しましょうよ。。。

正しさの奴隷になるな!

勢いが乗ってるときに無理にその勢いを抑える必要はないんですよね。

めちゃくちゃ頑張りたければ死に物狂いで頑張ったらいい。と思います。
朝から晩まで、夢中になって取り組んだらいい。


それが自分が心からやりたいことだったら、

どんな働き方しててもだいたい幸せだからね。単純なことです。


すげー真面目な人が心理学とか学ぶと、
つねに「正しい心の在り方」みたいなものを守ろうとして。

たとえば、

 

「自分を犠牲にして働きすぎるのはよくない」

 

みたいな教えをきっちり厳守しようとする。


すると、仕事で勢いに乗っていて、すごく調子がいいのに、


「これはいけないことだ、、頑張りすぎては、、働き過ぎてはいけない。。」


みたいに、罪悪感を感じて、せっかくの勢いを殺してしまう。
なんて、もったいない!!


たしかに、
人から認められたいという動機だけで、自分がボロボロになるほど
働き詰めるのは健全じゃないし、そんな理由で頑張ってやる価値は、仕事にはない。


でも、
自分がそれを心から楽しんで望んでいる、だからやってるんだ!
っていうのなら、それは別にそれでいいのだ。


俺が昔、ブログで情報発信してたときはさ、
とにかくそれが楽しくて楽しくて、しかたなかった。

コンセプトを決めて、どうやって集客したらいいかとか、
どんな記事を書こうかとか、どうやって利益出そうかとか、、、

いろいろ夢中になって考えていて。


そしてなにより、自分の考えや信念を伝えたいんだっていう、
情熱、パッションがあったからね。

一日中そのことばっか考えてて、最高に「ハイ」な時期だった。


徹夜も普通にしてたから、まああんまり健康的じゃなかったかもだけど、
それでも、俺は俺の心が「やりたい!」ということを、素直にやってただけで。

それをやると認められるとか評価されるとかじゃなくて、
ただ純粋に楽しいからやる!
趣味とか遊びと同じ感覚。


最近は働き方改革だなんだで、
表面的な労働時間とかそんなんばっか言われてるけど、
なんかくだらねえことやってんなーと思う。


歪だろうが常識から外れてようが、
「自分の心」に素直にしたがってやることなら、
それはいいことなんだよね。


小難しい心理学とか変なこと学んで頭でっかちになると
「それは心理学的に正しいありかたではない」とか考えちゃうけど、


そんな正しさ、俺はいらない。


周りから見て「おかしい」としても、
俺は俺がやりたいように、やるだけ。


勢いにのっていて、滅茶苦茶ハード頑張りたいときは頑張り通すし、

何もかも面倒でやる気がでないときは、家に引きこもって、
youtubeでも見てだらだらしてるし、


けっきょくは、自分がどうしたいかに素直になるってことだわね。


他人の押し付けた正しさとか正義とか、
そんなもの、気にしちゃいけない。

「仕事の報酬は仕事」 そんなもの俺はいらない

仕事って終わりがない。

どれだけ超スピードで片付けても、
次から次から案件がやってくる。

一息ほっとつく間もなく、エンドレスで次から次へと・・・


「仕事の報酬は仕事」ってのは、よくいったもんだなと。


・仕事があるのはいいことじゃないか!
・仕事がどんどん降ってくるのは、頼られてる証拠だよ!
・自己成長のチャンスだよ!

いろいろな言葉たちが、この「仕事の報酬は仕事」という、
呪いの言葉を正当化している気がする。


俺はいやだな、そんなの。。。

仕事で頑張ったら、数日はのんびりまったり休みたいし、
なんか仕事意外のごほうび、欲しいね。

新しい仕事なんていらないww
お前なんかどっかいけw


先が見えないんだよね。
先というか、終わりか。

「この案件を片付けたら、一息つける・・・」

っていう、そういうのがないのよ。


片付けても片付けても、というかいまの仕事・案件が
片付かないうちにまた新しいのがバシバシ降ってきて、
個人のキャパもチーム全体のキャパもとっくにオーバーで
悲鳴あげてるのに、どんどんどんどん・・・


「これをやったらホッとできるっていう、そーいう終わりがない」

 

チームの一人がこういうことを言っていて、
ああ、たしかにそうだよな・・・って思った。

仕事の報酬は仕事じゃあ、ずっと罰を受け続けてるみたいなもんだよなー。


仕事こそが正義です! みたいな変態はそれでもいいんだろうけど。
まぁ、俺も一時期はそんな変態チックな働き方というか思考してたけど・・・。


いいんじゃない?
「仕事なんていう報酬は欲しくありません」って思っちゃっても。
ぜんぜんおかしくないし、フツーの当たり前のことだと思うよ。
俺だって、案件はできる限り持ちたくないし、楽な仕事だけこなしてたいし。
それでも容赦なく仕事振られまくるけどw  





仕事ができるようになれば自信がつく・・・わけじゃない

仕事ができるようになれば、何かが変わると思っていた。

何かができるようになれば、自信がつくと思っていた。

周りから評価されれば、価値がある人間だと実感できると思っていた。


でも、、、あんまり変わらなかったかな。


いまはWebマーケティングの会社で、
コンテンツのWebディレクターをやってるんだけど、
その前は派遣の工場勤務でさ(時給800円!!)。
※ちなみに、さらにその前の新卒で入った会社は3ヶ月で退職w

派遣で工場勤務しているときはさ、
ほんとうに「自分は負け犬だな・・・」って思っていて。

こんな、だれでもできる単純作業を毎日毎日、、、
大卒のくせに、こんな底辺の仕事してるなんて、みじめで情けない、、、


そんな感情。

だからこそ、憧れた。


バリバリ仕事をこなすビジネスマンとやらに。

とくにさ、ノーパソをカタカタカターンッッ!!って打ち込む、
Web系のスタイリッシュ(?)な仕事にめちゃくちゃ憧れてて、
そうなれたらいいな、そういう仕事で頑張れたら、
自分は価値のある人間だってふうに、自尊心を感じられるんじゃないかって、

そんなふうに考えていて。


それで、いまの派遣をやめていまの会社に正社員で就職したんだよね。

それからは自分でいうのもなんだけど、めちゃくちゃ働いた。
こんなに頑張れるやつ、そうそういないよね、っていう、
それくらいハードに仕事をこなしていたと思う。

過去の贖罪

なぜ、そんなに仕事に打ち込んでいたのか?
自己犠牲ともいえるくらいの、仕事のこなし方。

それはなぜ・・・?


まぁ、いろんな要因あると思うんだけど、
ひとつは「贖罪」かな。
罪悪感、みたいな。


上のほうでちらっと書いたけど、俺、
新卒で入った会社を3ヶ月で辞めてるのね。
3ヶ月の新人研修が終わって、
「さあ、これから各地の営業所に配属だ!」ってタイミングで
やめたもんだから、仕事らしい仕事はなにもしてないw


次の派遣の工場の仕事も、
まあ言い方あれだけど、どんな人でもできる単純作業だから、
スキルらしいスキルもなにも身についていないわけで。
何も考えずに、部品を組み立て、流す。
それだけ。


だから、
「いままで仕事してこなかった分、今度こそ真面目に頑張らばければ」
っていう、一種の罪悪感みたいなものがあった気がするんだよね。
一生懸命仕事に打ち込むことが、過去の贖罪になるんじゃないかって、
考えていたような(中二病っぽいww)

無価値観の埋め合わせ

そして、もうひとつ、
こっちのほうがより大きいんだけど。

「仕事でバリバリ頑張って認められれば、自分に価値を感じられるはずだ」

っていう、そういう思い込みがあったんだよね。


そもそも、それが派遣から抜け出す理由だったからね。

「自分に自信がないし、なんか苦しい。。。それはきっと、工場なんかで惨めに働いてるからだ。もっと誇りを持てる仕事について、バリバリ働いて成果だして認められれば、自分もきっと価値のある人間に・・・」


そんなふうに思っていて。
それでガムシャラに頑張ってきて。
辛い気持ちも、しんどいと訴える体も、力づくで押し留めて。


実際、最優秀プレイヤー賞も受賞したことがあったし、
昇給も何度かあったし、周りからは「デキる人」だと頼られたし、、、


でも、それでも、、、
何かが根本的に変わったわけじゃ、なかったんだよね。

相変わらず苦しいの。
自分の無価値観ってのは、やっぱり残るのよ。


「おかしいなぁー、なんでだろう?」

「こんなに仕事頑張ってるのに、、、認められてるのに。。。」


そういう違和感を抱えながら、
最近までずっと働いていたんだけど、
やっとわかった、謎がとけた。


「自分の価値を、他人の評価とかに依存して判断してるからじゃん!」


これ。
最近いった働き方のセミナーで、
講師の心理カウンセラーが言ってたんだよね。


「自分の価値は上がらないし、下りもしない」

それを聞いたとき、

「そう、、そうなんだったんだ。」って感じで、
安堵感というか、そういうのに包まれた感覚がして。

「仕事ができるとか、周囲から認められてるとか、関係ないじゃん」
「別に仕事できなくても、頑張らなくても、俺はいまのままで完全体じゃないか」

っていう、そんなふうに思えるようになって。
それから、日頃から感じいた無価値観が、
すぅーっと薄らいでいったんだよね。


評価される恐怖もいくぶん軽減したから、
仕事もすごく速くなったのも嬉しい副作用。

「何があっても、自分の価値は下がらない」

この前提が心のなかにあるかないかだけで、
だいぶ仕事の苦しさというか辛さは軽くなるはず。

別に、信じられる信じらないとかじゃなくて、
「ふーん、そういうもんなのか」
くらいでいいと思います。

気づいたら、勝手に思えるようになりますんで。

仕事のやり方や進め方に正解なんてない

自分のなかの常識とは、あえて逆のことをやってみる。
勇気を出して、
「やっちゃいけない」と思っていることをやってみる。

あるいは「こうやるべきだ」と、
そう思っていたことを、やめてみるとか。

たとえば、こんな感じで。


・メールにはすぐに返信しない
・チャットワークにも即レスしない
・返信する価値のないメールには返信しない
・めんどくさい客は完全シカトする
・上司が仕事してても先に帰る
・仕事を頼まれても「No」と突き返す


こういうのってさ、
だいたい「いけないこと」として認識されてますけど、
勇気を出して、周りの意見とか価値観とかは気にせず、実行してみる。


そうすると、
いままで自分のなかにあった「行動のブレーキ」、
それががたーっと崩れていくんだわね。

まあ、一回やっただけじゃ一気に崩れないかもだけど、
何回もその行動を繰り返していくと、
それほど違和感や抵抗がなくなっていく。


「なんだ、あんがい平気じゃん」

そうやって、恐怖が薄らいでいく。


仕事の進め方とかやり方は、
「絶対こうしなければいけない」
なんて決まりや規則はないんですよね。


周囲の人間は、
「社会人としてのなんたら〜」とか、
「常識的にそれは〜」とか、
「俺個人的には〜」とかとか、
ごちゃごちゃうるせーこと言ってきますけど、


知ったこっちゃねえ!


ってはなしですよ。
お前の持論も意見も個人的な趣味嗜好も、
俺にはなーんにも関係ないねww


っていうスタンス。

昔さ、
すげーめんどくさいクライアントがいて。
クライアントというか、ライターさんなんだけど。

とにかく「仕事よこせ仕事よこせ」という主張が強くて。
でもたいした記事は書けない、こっちの要求レベルには達していない。

だから、仕事の依頼もストップしてて、
「仕事よこせ」メールも完全シカトしてたのよ。
んで、シカトしてても、毎日迷惑メールのごとくお怒りのメールきて。


「メールに返事を出さないのは社会人失格!」
「そんな無責任な仕事する人はほかにいません!」


みたいなメールがくるわけ。
ウケるよねw

あんたの社会人としての基準とか、無責任な仕事の基準とか、
ホントどうでもいいですから。
そのちっぽけな価値観を俺に押し付けないでくれと。
そんなくだらない物差しで俺をジャッジしてんじぇねえと。


社内からは
「さすがにシカトはまずいんじゃ・・・」
という声もあったけど、どうでもいいのです。


傲慢、自分勝手、ひとでなし、、、とか、
なんかいろいろ言われそうだけど。。。


でもまぁ、
人一人の価値観なんて、たいして重要じゃないんですよ。
人それぞれ、仕事の進め方とかやり方に自分なりのルールや基準を持っていて、
そしてそのルールや基準から外れる他者を非難しがち。

でもその批判って、すごく的外れというか、
意味のないものだと思っているわけです。
その人の基準・価値観が絶対なんてことはないし、
そんな個人の小さな価値観に合わせてやる必要なんて、ない!


好き勝手やったらいいってことです。
仕事なんて、そんなもんです。

 

Ahrefsを活用して超速コンテンツ企画作成術

時間を極力短縮してコンテンツの企画を作る手順を、
まとめてこうかなと。

ちなみに、SEO目的の記事コンテンツのお話。
企画作りに時間とられて労働時間伸びるぅー・・・
てきな感じで悩んでる方にはとても参考になるかと。

俺はこれですげー楽するようになった。


ちなみに、AhrefsというSEOツールを使用します。

ahrefs.jp

Ahrefsの使い方とかは、
こういう記事見ればいいかも。

【最新】Ahrefsの使い方ガイド:被リンクチェック・競合調査ツール

Ahrefsを活用した超速キーワード調査

対策キーワードは決まってる前提。
「このキーワードで記事作りたいんだけど、企画おねがい」
という感じで依頼がきた時を想定して、
そこから最速でコンテンツ企画を作るノウハウですね。

最速でつくって、あまった時間はサボるか寝るw


ステップ1. 対策キーワードのGoogle検索1位のページを、サイトエクスプローラーに打ち込む

ステップ2. オーガニックキーワードのCSVのリストをエクスポート

ステップ3. 検索順位11位以降のキーワードを削除し、降順で並べ替える

ステップ4. 重複や同じ意味のキーワードを削除して整理


上記の4ステップをやってできたリストがこれ。
「仕事 辛い」のキーワードで調査してみました。

f:id:the-unfit:20180121185104p:plain

 これらのキーワードが、
メインの対策キーワードのロングテールキーワードになるイメージ。
「仕事 辛い」の。

あとは「これらのロングテールキーワードを記事の見出しトピックや本文中に盛り込んで記事作成してください」と、
ライターさんに発注すればok。

10分もかからないかもですね。
すげー手抜きっぽいけど、
でもこれで最低限のSEO要素が押さえられるんだよね。

残業してもしなくても、どっちでもいい

残業はしてもいいし、
しなくてもいい。
どっちでもいいかなぁーと。

 

いやさ、残業しないほうがいいってのはそうなんだけど。
俺的にはどっちでも、
好きなように働けばええやんって思ってしまう。

 

定時で帰りたきゃ周りが仕事してようがさっさと帰ればいいし。
まだまだやりたいってんなら、
好きなだけやってけばいい。

 

あの、
「早く帰ったほうが生産性が〜」とか、
そういう関係の話ではないのよ、
いちおう言っとくけど。


「自分がどうしたいか」に、
素直に従おうぜ!っていう、
そういうお話。

それがけっきょく一番快適じゃないかね。


「定時に絶対に帰らなければいけない!」
っていうのも、
それはそれで苦しいのよ。

それこそ「定時に帰ってはいけない」と同じくらい。


なんでかっていうと、
「〜しなければいけない」っていう、
厳しいルールを自分に課しちゃってるわけだから。


「〜しなければいけない」
「〜すべき」


こういうのって、どんな形であれ苦しいんだよね。
例外から外れたら、落ち込んだり自分を責めたりしがちだから。


「くそ。。。今日は30分残業しちまったぜ。。。」


みたいな。

いやいや。別に30分くらいええやん?!
どうしたってそういう日もあるでしょ・・・
そんな、自分は仕事が遅いからだとか、要領が悪いからだとか、
自分を責めたり、無能感を感じる必要ないんだけど・・・???


「〜なければいけない」


こんなもん、取っ払ったらいい。


「別に残業してもいいし、しなくてもいい、どっちでもいい」


こういうスタンスというか、
心の在り方でいたら、いいかなーと思う。